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更新日:2011年5月19日

自治労復興支援ボランティア活動に参加して

大阪市従業員労働組合・組織局 太々野 晋治

太々野 晋治さん

太々野晋治さん

 今年は大阪・仙台で2回の桜を見る機会がありましたが、今年の桜ほど悲しい想いに駆られた桜をこれから先も決して見ることはないでしょう。

 他の参加者からも報告頂いたとおり、私は名取市で震災に見舞われた犠牲者が弔われている遺体安置所で身元不明者の衣服を洗濯する業務に就きました。

 本来、兵庫県本部が従事していたこの業務に就くことになったのは、従事していたお二方の精神的な負担があまりにも大きく、事実、班長会議でも相当まいっていた様子を見かねた中央本部と大阪府本部との協議がきっかけでした。

 遺体はおもに津波により名取沖に流され発見されたものが多く、膨大な数の遺体を収容しきれないため、幹線道路沿いの廃ボウリング場が安置所となっていました。

遺体安置所となっている廃ボウリング場

遺体安置所となっている廃ボウリング場

 暗いボウリング場の各レーンに並べられた身元不明の棺。警察の検視後、遺体の腐食・損傷が激しいものは順次、東京に送られ荼毘に付されます。その後、遺骨となった犠牲者は再びこの場所に里帰りし、遺品とともに家族との再会をじっと待っています。

 まだ20代にも満たない警察学校の学生たちが、砂と異臭にまみれた衣服を、ボウリング場の外で一生懸命に下洗いしてくれます。その洗濯物を、たった1台しかない洗濯機・乾燥機にかけるのですがおびただしい砂や埃は衣類から取れず、1回の洗濯の度に掃除機で乾燥機内の砂を取りフィルターを掃除します。衣服はそれだけでは乾燥しないので、ボウリング場奥にある複数のビリヤード台の間に何本ものキューを物干し竿代わりに、またボウル置き場にもロープを張り、衣服を干していきます。その後乾いた衣服は再度乾燥機にかけ、ビリヤード台できれいに畳み、袋詰めしたのち遺品として遺骨の前に置かれます。遺族はほんの少しの手掛かりを求めて探しに来るわけで、自分にとっては他人でも、遺族にとっては最後の服だと思うと、下手なりにも丁寧にしようと考え、胸の部分が上にくるように、マフラーや特徴的な柄や色の靴下があれば、それらが目に付くように袋に入れるようにしたりしました。大げさかもしれませんが、自分の家族を思い浮かべたり探しに来られる遺族の方の気持ちを想像してみたり、時には亡くなられた方の人となりを想ってみたり。別の遺族に間違って遺品が渡ることは絶対に許されない緊張感の中での悲しい作業でした。

 作業中、幾度となく見かける身元が判明した遺体と家族との悲しい再会の光景。警察の作成した見るも無残な遺体写真がファイリングされた検視書を食い入るようにしてまだ見ぬ家族を探し続ける被災者の人々。泣くことすら許されない業務の中で、唯一どうしようもなく感情が込み上げてしまったのは、業務の最終日に運ばれてきた若い女性とおぼしき棺と、本当に小さな小さなピンク色の棺が寄り添うように、自衛隊の手によってレーン上に並べられたとき。そして私自身1人の親としてこの小さな幼児の衣服を洗濯し棺に供えたときでした。

 この時ばかりは、業務終了後、部屋に戻って堪え切れず号泣しました。

 そんな中、名取市が民間委託しようとしてどの業者も手を挙げなかったというこの壮絶な業務に就いた私たち支援グループにとって唯一、勇気付けられた存在が、渡辺さんという名取市職員の方でした。彼女は今回の震災で大きな被害を受けた名取市閖上(ゆりあげ)の公民館に勤務していましたが、たまたま公休日に震災が発生し一命を取りとめたそうです。しかし上司や顔見知りの方も多く津波の犠牲となりこのボウリング場に運ばれてきたそうで以来この1か月、帰る職場もなくたった1人この場所で勤務し続けていました。休憩中、冗談を言い合いながら、ふと「みなさんが来て色んな話ができるようになったし、ここに来てこんなに笑ったのは初めてです」と笑う笑顔が泣いているように見えたのが印象的でした。

 被災県で家族を失い、家を失いながらも懸命に働く多くの自治労の仲間たち。多くの仲間と出会い、大きく両手を挙げて手を振り見送られる支援メンバー。送迎バスの車中、感動的な光景をいくつも目にしましたが、ここではたった1人の職員が「自治労のみなさんが来てくれて本当に嬉しかった。嬉しくて泣いたことがない」と言って人目をはばからず涙を流していたこと、バスが見えなくなるまで大きく両手を振って見送ってくれたことは生涯忘れることはないでしょう。私たち自治体職員にとって今東北で起こっている惨状、そしてその中で懸命に住民のために働く多くの自治労の仲間たち。それは果たして遠い地での蜃気楼なのでしょうか?

 もし大阪で震災が発生したとき、私たちがいつ、彼女のような過酷な状況に身を置くことになるやもしれません。それは他人事なのでしょうか?

 行政とは何か、直営とは何か、壊すとは何か、創るとは何か、そして生きるとは何かということ。今もこれからも自分に問い続けています。

 帰阪の日、見送りに来てくれた自治労宮城県本部の田中書記長が教えてくれました。私たちの滞在していた仙台市のベースキャンプのすぐ隣に、西公園という桜の名所があり、そこでは今日も皆が花見をしている、と。自粛ではなく、笑顔で立ちあがろうとしている人間の強さ、そして桜のような儚さ。それを支えともに向き合うことを忘れずに伝えよう。そんな一週間でした。

 東北、ともにがんばりましょう。

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