自治労近畿地連は、1月21日から23日にかけて各県本部の青年女性組合員を対象に「沖縄フィールドワーク」を展開しました。この取り組みは、平和運動の意義の伝承と次代の担い手育成を目的に、結成70周年記念事業として企画されました。
参加者は、日本で唯一地上戦が行われ多くの民間人が犠牲となった沖縄の惨状や、本土復帰以降も全国の米軍基地面積の70%以上が沖縄に集中していることによる問題点や自治体の取り組みなどについて学びました。大阪府本部からは青年役員など4人が参加しましました。
フィールドワークは、沖縄県本部の青年部や女性部の役員がガイドを担当しました。沖縄では、戦争を二度と起こしてはならない、惨状を後世に伝えようとする若い世代の活動家の存在が際立っています。参加者は同じ世代のガイドの語りに真剣に聞き入っていました。
1日目、ガイドを担当した県本部青年部書記長は、出身の読谷村での集団自決の惨状について語りました。
米軍が沖縄本土に上陸した際、多くの住民は、各地に点在していた自然の洞窟「ガマ」に避難していました。米軍の侵攻が迫った「チビチリガマ」では、ほとんどの住民が自ら命を絶ちました。この背景にあるのは、捕虜になるよりも自ら死を選ぶことをよしとする教育の浸透でした。
他方で、近隣の「シムクガマ」ではハワイ移住の経験がある住民が「米軍は民間人を殺さない」と避難民を説得し、米軍の誘導によって全員が安全な場所に保護されたといわれています。国家観の違いが生死を分けました。
この日参加者は、学徒動員により多くの女学生が戦禍に巻き込まれた当時の様子を鮮明に伝える「南風原陸軍病院壕跡」や「ひめゆり平和祈念資料館」を見学しました。
2日目、「労働組合と平和運動~沖縄の現状から考える」をテーマに講演を受けました。
講師の副執行委員長は、『普天間基地を5年ないし7年以内に返還する』との日米合意が1996年4月になされて以降、現在までの27年の間に起こった米軍による事故や事件などを紹介したのち、辺野古への移設問題に言及しました。
「2019年の住民投票では辺野古基地建設のための埋め立てに71.7%が反対。玉城知事はこの民意に基づいて辺野古の工事設計変更申請を不承認としたが、国交大臣が知事の不承認を取り消し、昨年12月には知事の権限を奪って設計変更を承認する代執行を行った。この一連の流れは県民の負託を受けた知事の処分権限を奪い地方自治の本旨を否定している」と訴えました。
講演後には現在も使用されている普天間基地と嘉手納基地を近隣から見学しました。続けて基地が返還されて開発された地域である北谷町のアメリカンヴィレッジを訪れました。
いまも基地の重圧とむきあう一方で、基地の跡地利用も課題となっています。県本部によると、基地による雇用や交付金などを支持する考えもあるものの、返還後の開発による雇用や観光収入などの方が、経済効果が高いとのことです。75年をこえる時を経ても、いまなお尽きることないオキナワの課題を実感する1日となりました。
3日目、大阪の参加者は行程になかった読谷村の「チビチリガマ」を訪れました。当時の住民は「鬼畜米英」として教えられ、捕虜となれば残虐な仕打ちを受けると信じていました。
米軍の侵攻が迫り、ある者は親族を殺め、ある者は自死しました。ガマの石碑には亡くなった人の名前と年齢が記されています。その多くが女性と子どもでした。参加者のひとりは「戦争で国民の命を守ることはできない」と語りました。参加者は「チビチリガマ」にむかい、全員で黙とうを捧げました。