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尹 誠國 PLP会館大阪地方自治研究センター
政治学においては、政治家や候補者の発言の内容に注目し、彼らの統治戦略や選挙戦略を分析する政治レトリックの分析という分野がある。「レトリック(rhetoric)」は、雄弁術、弁論術、説得術とも訳され、弁論・叙述の技術に関する学問である。日本ではレトリック研究者はあまり多くはないが、アメリカでは、主にコミュニケーション学部やメディア学部などにおいて研究されており、学問・実践両面から政治家の戦略・戦術の分析のために用いられている。これは、社会的合意形成のためには活発な政策論議が欠かせない、移民の国アメリカならではの特徴であると言えよう。
政治レトリックの分析手法として、ここではまず、主に演説の内容や流れ、そして演説が行われたタイミングや会場の設定などに注目する。言葉という手段を駆使し、聴衆を感動させ、引きつける魅力のある演説とはどのようなものなのか。例えば、ヒトラーは演説を行う時間を選び、主に夕方に演説を行ったという。それは、夕方は一般的に人間の心理的バリアが一番弱まる時間帯であるためだ。また、会場や聴衆の数によって演説の内容や言い方を変えている。大きな会場では、演説の内容よりはパフォーマンス、つまり、会場を沸かせ集団心理を刺激するのが有効である。少人数の小さな会場では、厳密に問題の核心を突く喋り方が必要であるとされている。
そして、演説を行う時間帯や会場だけではなく、内容も重要であるのは言うまでもない。川上徹也は、『独裁者の最強スピーチ術』(星海社/2012年、153頁)において、人を感動させるストーリの黄金律としては次のようなストーリの展開が重要であるとしている。川上氏によれば、橋下市長の演説は、人を感動させるストーリの黄金律に見事に合致しているという。より詳しく見てみよう。まず、何かが欠落した、欠落させられている主人公がいる。例えば、「今は一弁護士であります。昨日をもって知事を辞任しました」、「我々人柄の悪い、しかし実行力はある橋下と松井…」。次に、なんとしてもやりとげようとする遠く険しい目標・ゴールを目指していることを強調する。「二重行政をなくし…、東京、大阪二つのエンジンで…」。そして、ゴールを目指していくことを「邪魔する」数多くの障害・葛藤・敵対するものに立ち向かっていくという努力を強調するために、労組や学者、マスコミを敵として設定し、非難し、攻撃をしかけてくる。
橋下市長は、少なくとも表向きには常に強がりを言い、歯に衣着せぬ喋り方で知られている。そのため「強い」政治家というイメージがあるが、彼のツイッターの内容を見ると、橋下市長という政治家は常に何かの権威にあやからなければならないという、非常に弱い一面を持っていると思われる。
修辞学における政治レトリックの誤謬ごびゅうというのがある。誤謬とは誤った理由づけに基づく発言や議論である。その誤謬の一つに権威に対する訴求がある。これは、提唱されている政策の有効性を証明する代わりに、発言者の権威を前面に押し出すことで自分の正当性を主張しようとすることである。権威に対する訴求の定義については、鈴木健『政治レトリックとアメリカ文化―オバマに学ぶ説得コミュニケーション』(朝日出版社/2010年、75頁)。
橋下市長のツイッターには提唱されている政策の有効性を証明しようとする議論はほとんどない。自分の権威、つまり、民主主義国における最大の権威かもしれない選挙で勝っていることを非常に強く主張している。この点をより具体的に見るために、橋下市長の2014年2月のツイットの内容を中心に検討する。この時期は法定協での議論が進まず、橋下市長が出直し選挙を決意した頃である。太字の部分を注意して見ていただきたい。
まず、「…法律で住民投票で決めるとなった。そうであれば、住民の皆さんの判断を仰ぐためにも、大阪都構想の設計図までは作るというのが選挙で選ばれた我々の使命だ」、「…そもそも大阪都構想の設計図を作って住民の皆さんに見せるまでは、前回の統一地方選挙、知事、市長選挙の結果として議会も協力しなければならないはずだ。日本には民主主義が根付いていない」、「…住民投票で住民に決めてもらう。議会が否決するような話ではない。住民が判断する…」、「…立候補して選挙で僕の首を獲ったらいいんです」
このように、常に「民意」、「住民」、「民主主義」を強調している。このような発言を聞くと、彼は民主主義の崇高な理念の信奉者であり、民意を大事にする政治家であると思われるかもしれない。しかしながら彼の主張には致命的な弱点がある。確かに彼は選挙で勝ち、市長になった。だが、都構想に対する反対論を延々続ける法定協の野党の議員もまた選挙で当選しているのだ。民意の種類が異なるだけで、民意であることに変わりはない。そして彼が言うように、法律で住民投票で決めるとなった。しかし、彼が言っている法律(大都市地域における特別区の設置に関する法律)の規定によると、議会で承認が得られない限り住民投票はできない。法律の趣旨は、二元代表制という日本の地方自治制度の大原則に基づき、議会で十分な議論をし、議会の意見も踏まえた意思決定がなされることにあるといえよう。
これらのことを見ても、橋下市長は、自分は選挙で勝っているという権威にあやかっていることが非常によくわかる。民意を問う前に議論を積み重ね、市長を支持した民意以外の民意も尊重されるべきである。しかしながら、橋下市長は民主主義と民意を強調しながらも、自分を支持している民意以外には興味がない。これは本来の民主主義のあり方とは相反するものである。
橋下市長の権威に対する訴求は、維新の会の広報資料にも表れている。維新プレスVol.10(平成26年11月9日)には、「二重行政の解消・住民自治充実の大阪都構想に、安倍総理、政府自民党は賛成です。」とし、安倍総理の発言として「いわゆる大阪都構想でありますが、二重行政の解消と住民自治の拡充を図ろうとするものであり、その目的は重要であると認識しています(平成26年10月6日衆議院予算委員会にて)」としている。この発言が、政府が大阪都構想に賛成していることの証拠になるかどうかは別として、これは、権威への訴求という橋下市長の政治戦略の典型的な表れであるといえよう。日本のリーダーである安倍総理の権威にあやかりたいのであろう。
しかしながら、それは、橋下市長があやかっているもう一つの権威、つまり、民主主義という観点から考えたら大きな矛盾を抱えている。橋下市長は日本維新の会に属しているため野党の一員である。野党は、英語ではopposition(反対)party(政党)と言い、与党との政策的な違いや対立軸を鮮明に出し、次の選挙で政権獲得を目指すのが本来野党のやるべきことであり、それこそが民主主義の大前提である。実際、2014年12月の衆議院選で、橋下市長は自民党と戦ったはずである。安倍総理は日本のリーダーではあるが、日本維新の会の戦う相手、自民党の総裁でもある。敵の政党の党首が支持してくれているということを、野党が自己アピールの資料として使うのは、民主主義という観点からはあり得ないことであろう。しかしながら、ツイッターに表れているように、権威への訴求が橋下市長の典型的な政治手法であるとすれば、それも決して不思議なことではない。