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更新日:2016年2月4日

東日本大震災から5年
未だ続く避難指示 浪江町・富岡町を取材

 東日本大震災は、2016年3月で5年を迎える。死者1万5893人、現在も行方不明2572人となっています。

 今回、東日本大震災で2次被害とも言える、福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)の事故による放射能漏れで全町避難を余儀なくされた、福島県浪江町を中心に取材しました。

 浪江町は、福島第一原発から約8キロの距離にある、海と山と川に囲まれた、農業を中心とする約2万人が住む自然あふれるまちです。東日本大震災では、町沿岸部で、15メートルを超える津波が押し寄せ、町域での死者は182人を数えました。当町では、津波被害もさることながら、福島第一原発事故により、全町避難指示が出されました。震災から5年を迎えるも、現在も避難指示が継続しており、町内に居住することはできません。

 現在、浪江町では、除染作業が急ピッチで進められています。浪江町役場付近では、避難指示解除準備区域となっており、今年の3月には、有識者による検証委員会によって、一部町域で来年3月の避難指示解除の見通しが示される予定です。しかし、解除の目標を来年3月と定めているが、見通しは不明となっています。

富岡町は、津波の傷跡が未だ残っており、壊れた家屋の撤去や除染作業が進められている(写真:富岡駅前

富岡町は、津波の傷跡が未だ残っており、
壊れた家屋の撤去や除染作業が進められている(写真:富岡駅前)

復興にむけ一歩ずつ前進
戻りたくなる街づくりを

 今回の取材では、浪江町職員組合の長沼副委員長に話を聞くことができました。浪江町では、二本松市に本庁舎をおいて、通常業務をしています。一方で浪江町の庁舎では、通常60人程度が業務に就いています。役場付近は、解除準備区域に指定されているが、夜8時以降は、町内にとどまることはできません。長沼さんも現在は福島市から1時間半かけて浪江町の庁舎まで通勤しています。長沼さんは「通勤や庁舎間の移動など、とにかく移動時間が増えた」と苦労を語りました。また、庁舎が分かれていることや業務量の増大により組合活動にも大きな支障が出ています。「会議をするにもなかなか集まれない」と組合員同士の意思疎通の難しさも痛感していると述べた。

 浪江町では、復興計画に基づき、毎日2千人もの作業員により除染作業が進められています。また、復興にむけて、廃棄物の処理施設の稼働、インフラ整備、事業の再開など復興にむけ着々と進んでいます。しかし、解決しなければならない課題が山積しており、前途は多難です。

 避難指示解除後の帰還意向調査では「戻りたい」と回答した町民が2割に満たない現状です。一方で年配の方は「浪江に帰ってきたいなぁ」としみじみ語る人も。長沼さんは、このような現状に対し「戻らないと考えている人もいずれ戻ってきてもらえるような街づくりをしたい」と力強く語りました。

本庁舎は二本松市に移されている

本庁舎は二本松市に移されている

除染作業により出た、除染廃棄物を入れた袋(フレコンバッグ)が高く積まれている

除染作業により出た、除染廃棄物を入れた袋(フレコンバッグ)が高く積まれている

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