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更新日:2011年6月14日

連合災害救援ボランティア活動に参加して

自治労全国一般評議会大阪地方労組 青年部長 中道 生雄

 5月10日から18日まで、連合本部の要請による災害救援ボランティに参加してきました。

連合災害救援ボランティア活動

 連合として今回の派遣が第6陣となり、大阪からは基幹労組から1名、自治労大阪から国保労組の3名、そして全国一般大阪地方労組から岡村副委員長、木下執行委員、私中道の3名、計7名が参加しました。

 東京・総評会館で行われた出発式では、連合本部より、被災地の現状報告や連合のボランティア活動報告があり、今回第6陣(総勢31名)のボランティア活動の内容が発表されました。今回は、「会津若松市での救援物資の仕分け活動と郡山市を中心に炊き出し活動」というものでした。

 出発式終了後、約4時間をかけベースキャンプである福島県猪苗代町の「リゾートイン ぼなり」に到着をしました。到着して直ぐに結団式を行い、連合福島から福島県の現状報告と今回のボランティア活動の重要性について話がありました。「今回の大震災により発生した津波の影響や、福島第1原子力発電所の事故で多くの福島県民は、県内の避難所生活をしています。避難所によっては待遇が全く異なり、毎食きちんと弁当が支給される避難所がある一方で、1食につきおにぎり1つの所もあります。避難所開設当初は、まだ東北地方では寒さが厳しく、パンや冷めたおにぎりしか支給されていませんでした。暖かい食べ物といえばカップラーメンなどしかなく、栄養バランスが非常に悪い状態が続いていました。そんな中、多くの避難者から『何か暖かい食べ物を』と要望の声がよせられ、『炊き出しのボランティア活動』が始まり今日に至っています。炊き出しがなければ、おにぎり1つだけの避難所もあり、『炊き出しが非常に有り難い』との声が多く、非常に大事な支援活動になっております。スコップを手に泥だしや瓦礫の撤去作業をしたいとは思いますが、どうかスコップの代わりに包丁やオタマを手にして頂きたいと思います。」と強くお願いをされました。

炊き出しボランティア

 活動1日目は、川内村や富岡町の住民が多く避難してきている郡山市のビックパレットの近くある「いすゞ自動車の整備工場跡地」へ移動し、そこから各避難所へ炊き出し・翌日の炊き出し野菜のカット・洗いなどに分かれて作業を行いました。基本は、現地ボランティアである、『福島ハートネット』や『とちぎVネット』の指示のもとに活動をしました。岡村副委員長は「野菜の切り出し・洗い」、木下執行委員と私は「林業センターへ炊き出し」に行きました。翌日に約1500人が非難しているビッグパレットでの炊き出しが予定されており、そのための野菜カットが多くあり非常に忙しい作業となりました。岡村副委員長の初日の感想は、「1日の作業としては充実しているが、前かがみで作業するので最終日まで腰が持たない。休憩時間もビックパレットの炊き出し組と交代して、配膳の手伝いをしていたので大変。」と語っていました。

 炊き出しと言っても、前日にカットした野菜や食材をお鍋で茹で味付けをするといった事が主で、避難所によっては配膳も行いました。「林業センター」には主に南相馬市からの避難者の方がいらっしゃいました。「早く帰りたいが、帰ったところでどう生活をしていけば良いのか?」と途方に暮れていた方もいました。

 2日目も同じような作業で、木下さんは「農業センター」へ炊き出しにいきました。50名の方が避難してきていました。その避難所では、毎食1人につきおにぎり1つで、そのおにぎりも黙って置いて帰るという事もしばしばあるようです。岡村副委員長と私は同じ場所で同じ作業をしました。私の方で間違って空のガスボンベを持ってきてしまい、林業センターのガスコンロをお借りして炊き出しをしました。調理途中に、何人かの避難者から、「いつもありがとう。必要な調味料があったら、ここのやつ使ってね。」と声を掛けてくれました。

 3日目は、3人そろって「林業センター」へ炊き出しに行きました。材料・道具を車から降ろした時に、ボランティアで避難所をまわって「気功体操」を教えている先生が来まして、避難者と一緒に体操をしました。

復興作業が進む被災地

 4日目は割り当てられた仕事量が少なく、我々は急遽お休みになりました。休みを利用しレンタカーを借りて、沿岸部にあるいわき市小名浜へ行きました。小名浜へ近づくにつれて、道路の凸凹が多くなり、小名浜では徐行しないといけない場所も多々ありました。小名浜漁港には、津波で打ち上げられた漁船もあり、沿岸地域は真新しい家をのこして殆どが全半壊でした。墓石も津波により流されて、片付けたいのに片付けられない現実がそこにはありました。

 一緒に活動していた長崎の方は南相馬市へ出かけられ、ニュースなどで報道されている風景があったと言っていました。津波に流されてしまった場所の反対側は3メートルの道路を挟んで全く被害がなく、天国と地獄の境目を目のあたりにしショックを受けたと話してくれました。

 5日目・6日目は、いわき市の勿来や福島伊達市にも炊き出しがあり、6日目は岡村副委員長が福島伊達市に行きました。移動時間だけでも片道2時間近くかかり、非常に疲れたとの事です。

 7日目の最終日に、三春町の春山小学校に行きました。ここは原発事故関係で避難されている方ばかりで、話によると3箇所目の避難所になっているそうです。この小学校は廃校になっている校舎を利用していて、かなり真新しい校舎でした。我々が炊き出しを行った避難所では、避難者の方々が一番自立していて自分達で当番を決めご飯の炊き出しや配膳も行っていました。ビックパレットに戻る途中に福島県の桜の名所「三春の滝桜」に連れていってくれました。この「滝桜」が福島県復興のシンボルになればいいなぁと思いました。

がんばろう東北と書かれたジャンパー着た男性

 全日程を終え、参加者から今回のボランティア活動について、「大所帯である連合が本腰で支援しないのはおかしい。」だとか、「もっと現地ボランティアと連携しないといけない。」とかの意見が出ました。政界も与野党の足の引っ張り合いで、肝心な予算や法案も可決成立も進まない状態。何処か被災者達や避難者達の事が置き去りになっている気がします。

 旅行会社が「ボランティアツアー」を企画していますが、1日は現地ボランティアを行い、次の日は観光をして帰るといった内容のところもあり、そういうところは観光気分でボランティアに参加しているような気がして、私個人はあまり賛同する事が出来ません。

 最後に、原発問題が深刻な「福島県には細長い支援を続けていく必要がある。」事を確認してきました。機会があれば再度福島へボランティアに行きたいと考えています。

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