更新日:2011年6月2日
自治労大阪府本部副執行委員長 島村啓二
4月16日(土)~24日(日)まで、自治労大阪復興支援第2グループとして宮城県岩沼市での支援活動に参加した。罹災証明発行支援・避難所運営支援がわれわれの支援内容だ。私は避難所となっている岩沼市農村環境改善センターの運営支援に赴いた。
避難所では、「ただいま帰りました、おはようございます」が朝のあいさつだ。夜勤の人との引継ぎ、館長との打ち合わせ、避難者との人間関係作りなど、各自が考え「すべては現地のために」の思いで行動している。しかも押し付けでない自然な行動だ。なんとすばらしい仲間。だがそれ以上に、被災された方々が悲しさ、悔しさ、恐怖を胸に秘め笑顔で生活されている、そのことに驚きを禁じえない。そこには、この避難所に暮らすものは家族だとの考えが根付いている。
ある方が、「もっとひどい地区がある、そこにもいってやってくれ。手付かずの場所がいっぱいある。困っている人が沢山いるんだ。」
避難所の運営は、支援が入るまで岩沼市職員が担っていた。しかし自治労から支援が入ったことで、手薄となっている部署への職員配置や住民の方への対応が可能となった。われわれの支援は住民の方への支援活動と同時に市の職員への支援活動にもなっていることを実感する。
大阪だからできる活動は何かを考えたとき、ふと頭に浮かんだのが「たこ焼き」教室だった。さっそくスタッフと相談し実行に移すこととなった。まずは大量のたこ焼きを焼いて、湯煎しておくことから始まった。
4人のスタッフで2時間40分かけて2,000個あまりを焼き上げ、いよいよたこ焼き教室の開講だ。子供たちを中心に大人たちも興味津々、実演を始めると子供たちがプレートの前に集まり、竹串を持って自主的に焼き始める、大人は、湯煎したたこ焼きを食べながら、子供たちの奮闘振りを眺める、そんな心地よい一体感が広がった。1時間半ですべてがなくなり、具材のたこもなくなり急遽ウインナーでたこの代わりをするほどの盛況ぶりだった。被災された方々や子どもたちと、楽しく参加型の炊き出しができたのではと自負している。
被災地を自治会長に案内していただいた。避難所と被災地のちょうど中間に常磐自動車道が東西に走っている。山側の田畑は耕され、緑の草が生えているが、海側の田畑には海水と泥、車、材木、コンクリートなどが散乱している。集落に近づくにつれ言葉を失ってしまった。本当にここで村の人たちが生活していたのかと疑いたくなるような惨状だ。生活の痕跡を根こそぎ持ち去った津波。自治会長の出発前の一言が胸をよぎる「憎い海を見に行こうか」。
われわれにできることは何か。現地をしっかり把握し、物資・お金だけでなく、ニーズに見合った人的派遣が必要だろう。こんな物資、こんな支援が喜ばれるんだろうではなく、現地を見て、話を聞いてできることは何かを考え行動を起こす。そんな支援活動を考えなければならない。
岩沼市から帰阪して一日過ぎた。これからゆっくりと記録を書き留めたい。今後支援に向かう人には「がんばろう東日本・すべては現地のために」を心に刻んで、現地に赴いてもらいたい、でも、そこでは「想像を絶する被害に遭われた方々が生活している」、そのことを忘れてはならない。