更新日:2010年6月2日
沖縄が日本に復帰した5月15日前後に毎年開かれている「5・15平和行進」は14、名護(東)、本部(西)、糸満(南)の3コースに分かれてスタートしました。約1300人の参加者が基地被害にさらされ続ける地域を歩き、平和への思いを新たにしました。
平和行進は今年で33回目を数え、16日の午後には雨が降り続けるなか、住宅密集地にある米軍普天間飛行場の無条件返還を求めて約1万7000人が同飛行場の外周約13キロを「人間の鎖」で囲みました。包囲行動は5年ぶりの5回目。宜野湾市をはじめ、中部7市町村の首長が初めて共同代表に就任しました。
96年の全面返還合意から14年を迎えるなか、普天間基地の移設先見直しの作業は重要な局面を迎え、再び県内移設の可能性が強まっています。16日午後2時、「米軍普天間飛行場の無条件閉鎖返還を求める普天間基地をかえせ!人間の輪で普天間基地を包囲する県民大行動」(普天間基地包囲行動、主催・同実行委員会)が、雨の降る宜野湾市の同飛行場の周囲で行われました。主な狙いは、基地の無条件返還を強く訴えるとともに県内での新基地建設を許さないことです。
沖縄県中部地区には大雨洪水警報が出ていました。激しい雨のなか、カッパを着た宜野湾市民、県民、全国の沖縄平和行進への参加者ら1万7000人がフェンス・周辺道路沿いで両手を広げ、「人間の鎖」で周囲約13キロの飛行場を完全に取り囲み、プラカードや横断幕を広げ、県民の意思をアピールしました。
普天間飛行場の包囲は05年に続き5回目です。前日の15日で沖縄は本土復帰から満38年を迎えました。本土では米軍基地の削減が進んでいますが、国土の1%に満たない沖縄には現在も7割以上の在日米軍専用施設が置かれています。04年には宜野湾市の沖縄国際大学に米海兵隊の大型輸送ヘリが墜落する大事故が起こりました。同飛行場は同市の面積の約25%を占めており、宜野湾市の伊波洋一市長と有力な移設候補地である名護市の稲嶺進市長は、包囲行動後の共同会見で県内移設に反対する声明を発表し、普天間返還が進まなかった経緯に触れ、安全保障や抑止力を根拠に県内移設を進めることがないよう政府に求めました。