更新日:2009年6月1日
沖縄が日本に復帰して37年を迎えた15日から17日までの3日間、夏のように太陽が照り付ける沖縄で、「基地のない平和な沖縄を取り戻そう」「基地の機能強化反対」「ジュゴンのすみかを守ろう」とシュプレヒコールを上げながら、名護(東)、本部(西)、那覇(南)の3コースに分かれて各地を歩く「5・15平和行進」が行われました。
大阪をはじめとする県外の参加者と基地所在市町村の住民ら延べ7、100人は、沖縄の米軍基地の現状などを「平和行進」で実感しました。
17日の夕方には、平和行進を締めくくる「復帰37年 5・15平和とくらしを守る県民大会」(同実行委員会、沖縄平和運動センター主催)が、宜野湾市の宜野湾海浜公園屋外劇場で開かれ、日米両政府が進める米軍再編に反対するアピールが採択されました。
県民大会には、各コースを歩いた平和行進団が合流し、参加者は約3、500人にもなりました。長い距離を行進してきた参加者は、真っ赤に日焼けした顔に疲れをのぞかせながら、主催者らが話す決意の言葉を真剣な表情で聞きました。
とくに福山真劫平和フォーラム事務局長は「この行進で胸に何を刻み、何を決意して歩いてきたでしょうか。沖縄の現状、基地の実態、そして沖縄の怒りを胸に刻んだでしょうか。私たちの力で戦争する国づくりへ暴走する政府を包囲し、今日の集会をふまえて全国で平和のためがんばろう」と訴え、県民大会の最後には会場が一体となって「沖縄を返せ」を歌い、団結ガンバローを行ないました。
5・15平和行進の2日目にあたる16日、大阪平和人権センターの呼びかけで、沖縄戦「集団自決」にかかわるフィールドワークが渡嘉敷島で行われました。同センターは、「『集団自決』という惨劇に視点をあてることで、戦争の恐ろしさと悲惨さを学び、自分たちの問題として反戦平和の実現をめざす下地作りとして取り組んだ」としています。
渡嘉敷で起きた「集団自決」の犠牲者は、329人にのぼり、読谷村チビチリガマや座間味島を大きく上回ると言われています。
渡嘉敷の観光地という明るいイメージのすぐそばに、戦争の悲惨さを物語る戦跡があります。
フィールドワークには、ライター活動をしている源哲彦さんに現地を案内してもらい、大阪と奈良から合わせて17人が参加しました。
源さんは「沖縄では、集団自決の場ではなく玉砕場と呼んでいる」と述べ、ある参加者は「現地に来てはじめて実感できることがある」と感想を述べました。